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能を支える人びと


伝えたい!能と日本の伝統文化:葛西聖司
撮影:大井成義

 長年、NHKの名アナウンサーとして、お茶の間の皆さんから親しまれてきた葛西聖司さん。「NHK趣味講座 仕舞入門」「芸能花舞台」など数々の純邦楽や伝統芸能の番組に携わり、日本の伝統文化を、わかりやすく楽しく伝える役目も担ってきた。その一方で、日本全国で能や伝統芸能についての解説や講演、名人たちとの対談などにも精力的に取り組んでいる。さらには多数の著作を通して、数多くの人々を伝統芸能・伝統文化の門口へ、誘ってきた。
 秋声が懐かしく感じられるある日、国立能楽堂の研修舞台を背景に、葛西さん曰く“森林浴”を楽しみながら、お話を伺った。名人芸の語りには、能と日本の伝統文化、日本人への尽きせぬ慈しみがあった。

→ 第1部 仕事で能に関わるようになったきっかけとは?
→ 第2部 能の楽しみ方。能から広がる世界とは?

第1部 仕事で能に関わるようになったきっかけとは?

初の能鑑賞では、眠ってしまいました

アナウンサー 葛西聖司
撮影:大井成義

能との出会いは、地方の方、都会の方、それぞれいろいろなかたちがあると思います。東京に住んでいた私は、中学校の授業で能楽堂へ行ったのが、最初の能体験でした。どこの能楽堂か、何の曲かも定かには覚えていません。

私自身は普通のサラリーマン家庭に育ち、伝統の世界とは縁もありませんでした。能楽堂は、独特の雰囲気があって、「へえ、面白いな」と興味は湧いたんです。引き締まったものを感じて、この場ではきちんとしなければ、と中学生ながらに緊張していましたね。ところが、ほとんど眠ってしまって……。

寝ちゃいけないのに寝てしまったという思いが強くて、すごく苦痛に感じました。その苦痛が、能楽堂の雰囲気とセットになって、能はつまらないものというイメージが定着してしまった。

でも今、各地で能のお話をさせていただくようになって、あのとき「ああ、よかった」という感動の出会いじゃなかったことが、逆によかったとも思えるのです。

歌舞伎を入り口に能と再会

その後私は、中学・高校時代、歌舞伎にはまっていったんです。歌舞伎は嫌じゃなかったんですね。これも学校の先生に連れられて、2階のいい席から見下ろして面白かった。緊張もなく、友だちと気軽に楽しめたことがよかったのかもしれません。

新聞の広告に歌舞伎の1カ月間公演があること、学割もあることが紹介されていましたから、「あっ、自分でも見られるんだ」と気づいた。ちょうど国立劇場ができた頃から、学校帰りに学割の安い席で歌舞伎を見るようになりました。そして歌舞伎の原作に能がある、ということを知り「僕が苦手な能が原作なんだな」と少し驚き、興味も持ちます。でもまだ能に積極的にはなりませんでした。

高校時代、国立劇場に感想文を書いて送っていたんですけど、それがきっかけで、伝統芸能に通じた年配の人と文通を始めたんです。その人が、「君は歌舞伎が好きなら、能をご覧なさい。僕は能に一番熱中したんだよ」と勧めてくれました。そのときも「へえ、あんな難しそうなものが」と思った。まだまだ子どもだったんですね。

大学生になって成長し、考える力がついてくると、能を勉強してみようかな、という気持ちが湧いてきた。そこでやっと、自分から能楽堂に通うようになったんです。ずいぶん遠回りでしたね。

伝統文化への興味が枝葉を伸ばして、やがて解説する立場に

回り道でしたが、歌舞伎を入り口に、能へ興味を持てるようになった。歌舞伎を入り口にすると、能にも人形浄瑠璃にも行けます。日本史にも行けます。和の技術、衣装、色彩、習慣、風俗、宗教……。いろいろと広がっていく。それは、能やその他の文化が入り口になってもいい。

入り口が何であれ、そこからたどるといろんな世界へ行ける、日本の伝統文化はとても豊かなつながりのある世界をもっている、というのがわかったんですね。そうすると、中高時代にあれだけ嫌だった古典、たとえば源氏物語や平家物語も興味深く思え、実際読んでみると「おっ、これは面白いじゃないか」ということになって。

そのように枝葉を広げたことが今、能の解説をさせていただいたり、学校で学生に教えたりするきっかけになったのですから、わからないものです。

伝統文化を放送で伝えたくて、NHKアナウンサーになったけれど

能に深くのめりこむようになるのは、社会人になり仕事として、能に関わるようになってからです。

私がアナウンサーになった理由は、放送を通して日本の伝統文化を伝えたいという志からでした。でも初任地が鳥取、2局目が宮崎で、能や歌舞伎とほとんど縁のないところになった。そうなるともう、自分の夢である「放送を通して日本の伝統芸能の面白さを伝える」ことが、叶わないというのに気づくんです。

観る機会も限られてしまい、たまに東京に帰って、歌舞伎座に行ったり、鳥取では休みの日に京都の南座に出かけたり、研修で金剛能楽堂に観にいったりするぐらいでした。でもわずかな機会だからこそ、むさぼるように観ました。そうなると吸収度も全然違うんですけどね。

もう仕事ではなく、人生の楽しみとして、能・狂言、歌舞伎、文楽と関わりを持とうと思いなおして、夢の仕事はいったん諦めました。

画期的だった「NHK趣味講座 仕舞入門」

アナウンサー 葛西聖司
撮影:大井成義

その後、東京に戻るのですが、少年時代の思い出が堰を切ってあふれ、観られなかった時間を取り戻すように、35歳以降、伝統芸能の世界にのめり込みました。

昭和の終わる頃(昭和63年)から伝統芸能の番組にも携わるようになった。そして巡り会ったのが「NHK趣味講座 仕舞入門」という番組です[1989年(平成元年)7月〜9月放送]。そこで講師を務めた友枝昭世と出会ったことが、私にとっては画期的でした。私がこのように敬称を使わないのは、その人のことを偉人として尊敬しているからですので、ご了解ください。

能楽堂に仕事で出入りし、仕事でインタビューもするなかで、観客として楽しむのではない必死さが出てくる。そうして能の見方も変わってきた中で巡り会った番組で、友枝昭世のすぐそばで仕事をして、とても勉強になりました。

友枝昭世の「弟子」になって

番組を受けるにあたって、ひとつ条件を出したんです。能舞台でお稽古をする番組ですから、女優の卵さんたちを生徒に仕立てて登場してもらった。私は司会者として、講師と生徒のつなぎ役になるんですが、せっかくだから私も生徒の一員に加えてくださいとお願いしたんです。

謡もやってみないとわからないし、舞台も踏んでみないとわからない。能を体で実感しようと思ったわけです。担当者からは不安げに「できるの?」と聞かれましたが、「やります」と元気に答えました。

番組が始まり、失敗したと思いました。というのも、収録が一度に2本撮りだったんです。1本目と2本目の間は小一時間しか休憩がなく、その短い間で上達しなければならないんです。「これは大変だ、できない」と気づいても後の祭りです。

4名の若い女優の卵の生徒さんは、さすがにすぐ覚えてしまう。一緒に動かなきゃいけないんですが、どうやったかというと、そこは私も放送局のプロ。カメラがどこから撮影するかわかるから、すっと後ろに隠れました。

家へ帰るともう必死で覚えて、次の収録に備えました。番組進行だけでも大変でしたから、「引き受けなきゃよかった」というのが、そのときの本音です。全国の方々がご覧になり、「袴が短い」など、いろいろご意見も頂戴して、責任も重かったんです。

でも本当にやってよかった。友枝昭世の「弟子」になれたんですから。すぐそばで彼の全身を見ることができる。能役者を見所からではなくて、舞台上で見られた。何て素敵なんだろうと思ったんですよ、ぞっこん惚れちゃいました。なぜこんなに綺麗に動けるんだろう、という感動がありました。お話でもいろいろなことを教わり、私の中にいっぱいあった大いなる誤解を一つひとつ解きほぐすことができました。

また第1回は、喜多能楽堂で収録しました。そのとき、外国人の方が船弁慶の仕舞をされたんです。それを観て、羨ましさと悔しさをすごく感じました。日本人として、がんばらなきゃという思いが沸々と湧いてきたんです。こういう強い思いを抱けたことも、この番組をやってよかったことのひとつですね。

能の匠たち
能楽入門2「能の匠たち その技と名品」(小学館)
横浜能楽堂編 山崎有一郎氏監修
葛西さんは匠たちの技や名品に関するエッセイで参加されている。

その後、能・狂言の名人の方々に数多くインタビューする機会に恵まれるようになりました。NHKに入って、古典芸能のアナウンサーの末端に連ねさせていただけた。有難いと思っています。

山崎有一郎との出会い。横浜能楽堂と深く関わって……

もうひとつ、能に関わる仕事では、山崎有一郎(横浜能楽堂館長)との出会いを介した、横浜能楽堂とのつながりが大きいですね。

白寿を迎えた山崎有一郎は、自分でも演じますが、演者ではない立場で能楽界を長く支えてきた偉人です。横浜能楽堂の開館時[1996年(平成8年)]から私に声をかけ、講座を持たせてくださった。能ドットコムにも出ている方もいらっしゃいますが、能の道具(楽器)制作に携わる方、能面師、扇制作の方、能舞台建築の方など能をサポートする側の専門家の方々をゲストにお話をするという講座を続けました。

これは私にとって、放送とは違うすごいプレッシャーのかかる仕事でした。私に大きな変革を導いてくれたと思います。能に関して知っているつもりで知らなかったことや、思い違いを、また改めて知ることができました。能を見る目が開かれた感じです。各世代を代表する演者にもたくさん会うことができた。山崎有一郎、横浜能楽堂との濃密な15年は、私にとっての宝物です。次ページへ


葛西聖司 プロフィール
アナウンサー・古典芸能解説者 東京都生まれ、中央大学法学部卒業。
NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオのさまざまな番組を担当。現在はその経験を生かし、歌舞伎など古典芸能の解説や講演、また日本伝統文化の講義などで大学の教壇にも立ち、朗読教室や執筆活動も続けている。 日本演劇協会会員、NHK文化センター講師、中央大学 公開講座講師、日本体育大学、山梨英和大学、別府大学などで非常勤講師を務める。 著書に『文楽のツボ』『名セリフの力―日本語をきたえる76のことば』『ことばの切っ先』、共著に『能の匠たち』『能楽史事件簿』『能狂言なんでも質問箱』『見事な死』など多数。

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