菊を愛好する白河院の庭で、菊の世話をする山科の荘司という者がいました。荘司は白河院の女御の姿を見て、恋心を抱きます。女御は荘司の懸想を知り、臣下を通じて荘司に、あることを行えば、思いに応え、姿を見せてあげようと伝えます。あることとは、美しく装飾され、いかにも軽そうに見える荷を持って、庭を百度、千度廻ることでした。荘司はわずかな望みができたと喜び、下働きで鍛えてきたからやりやすいと、精一杯の力を込めて持ち上げようとします。しかし、それは大変な重荷で、まったく持ち上がりません。何度も何度も頑張ってみますが、持ち上がることはありませんでした。力を使い果たし、絶望した荘司は、この仕打ちを恨み、女御に思い知らせてやると言いながら、死んでしまいます。
臣下から荘司の死を知らされた女御は、庭に出て、荘司の死体を見て、その死を悼みます。ところが、立ち上がろうとしても巌に押さえつけられるように、身動きできません。すると、そこへ荘司の亡霊が現れます。亡霊は、女御のひどい仕打ちに憤り、さんざん恨み言を語り、地獄で苦しんでいることを伝え、女御を責め立てます。
しかし最後に荘司の亡霊は、弔いをしてくれるなら、恨みを消し、女御の守り神となって、幸せを末長く守ろうと言い、去っていきました。
美しい女性に恋をしてしまった老人の、悲哀と恨みを描いた作品で、よく似た曲に「綾鼓」があります。
女性は高貴な女御、老人は庭掃きの賎しい身分の男。恋に隔てはないといいながら、階級も違い、年齢の差もあったでしょう、そもそも女御は老人のことなど、何とも思っておらず、老人も望みのない恋だとわかっていたようです。ところが女御が、老人にあらぬ希望を持たせたことが、恐ろしい悲劇を生み出しました。わずかな希望にすがり、決して上げることのできない重い荷を持とうとする老人の哀れな姿。老人は女御の仕打ちに、恋心を無残に砕かれ、恨みの末に死に、怨霊となってしまいます。能では、老人の心の揺れが、緩急鋭い謡と、ごくわずかな所作とで見事に表現され、観る人の心のなかに、ぐんぐん入り込んできます。
また老人は恨みとおすことなく、最後は女御の守護神になると言います。恨み通すよりも、報われずとも、愛した人の側で支える道を選んだ老人の、けなげさも印象深いものがあります。
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