「翁」は、「能にして能にあらず」といわれ、まさに別格の一曲です。どのカテゴリーにも属さず、物語めいたものはありません。神聖な儀式であり、演者は神となって天下泰平、国土安穏を祈祷する舞を舞います。
「翁」は古くから伝わる曲で、その源流は歴史の彼方にあり、謎に包まれています。世阿弥は、風姿花伝に、猿楽の祖とされる秦河勝(はだのこうかつ)の子孫、秦氏安(はだのうじやす)が、村上天皇の時代(10世紀ごろ)に、河勝伝来の申楽を六十六番舞って寿福を祈願したが、そこから三番を選んで式三番(「翁」の別称)とした」という内容を記しています。世阿弥が記した式三番は、父尉(ちちのじょう)、翁(翁面(おきなめん)とも)、三番猿楽(さんばさるがく)という、それぞれ老体の神が寿福を祈願して舞う三番の曲を指し、三番一組で演じられました。後に父尉は演じられなくなり、現在は千歳・翁・三番三(三番叟)の順に舞うかたちとなっています。
「翁」は舞台上演前に始まります。「翁」を勤める役者は、上演前に一定期間、精進潔斎の生活を送り、心と体を整えて舞台に臨みます。
上演当日は、多くの場合、舞台上部に注連縄(しめなわ)を張って場を清め、鏡の間には祭壇を設け、使用面を納めた面箱、神酒(みき)などを供えて儀式を行います。
幕が上がると、橋掛りから面箱を先頭に、シテ(翁)、千歳、三番三(三番叟)、囃子方ほか各役が順に舞台に入ります。金春、金剛、喜多の三流では面箱が千歳の役を兼ねるため、役者が一人減ります。
シテは舞台上で深々と礼をした後に着座します。三挺の小鼓と笛の囃子が始まってからシテは謡を始め、地謡との掛け合いに入ります。その後、千歳が舞います。千歳は露払い(先導し、道を歩きやすく拓く者)の役を担います。この舞の間に、シテは翁面をつけて翁の神に変身します。
翁が進み出て舞い、舞が終わると翁は面を外し、再び舞台上で深く礼をし、その後、翁と千歳は橋掛りより退出します。これを翁帰り(おきながえり)と呼びます(金春、金剛、喜多の三流では千歳は退出しません)。
直面(ひためん)の三番三(三番叟)が登場し、「揉(もみ)ノ段」を舞った後、黒式尉(こくしきじょう)の面をつけ、面箱と問答を行った後、鈴を渡され、今度は「鈴ノ段」の舞を舞います。
能の舞台はいつも、静かな緊張感のみなぎるものですが、この「翁」は他の能と違い、神聖な儀式の独特な雰囲気があります。「翁」の上演中は、見所に入ることも出ることも禁じられます。観客も神事の参加者、目撃者として、言葉にできない領域に入ります。余計に語ることはありません。ぜひ一度、翁を現実の舞台で体験していただきたいと思います。
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