明治時代、旧藩主たちに庇護された能楽は衰退し、能舞台も数を減らしました。明治政府は、諸外国の要人をもてなす伝統芸能として能楽の復興に取り組みます。
諸外国を視察し、各国の舞台を観た岩倉具視が、オペラ同様の価値を能に見出して後押ししたとされています。1881年(明治14年)には、岩倉具視を含む華族らを会員とした能楽社が発足。この年、同社によって、従来の屋外にあった能舞台を、そのまま建物内に収めたかたちの能楽堂が誕生しました。東京・芝公園内に設けられた芝能楽堂です(後に靖国神社へ舞台が移設され、現存していません)。
「劇場」としての能楽堂は、その後、数を増やし、季節や天候に左右されない環境で能を楽しめるようになりました。演目だけではなく、能舞台そのものを残したこと。その判断が、能楽が独自の舞台芸術として、本来の魅力を失うことなく今に伝わる大きな要因となりました。