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能楽トリビアTrivia

Question160 日本最多の演能記録?(2020年4月22日追加)

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江戸後期の薩摩藩主・島津重豪は毀誉褒貶の激しい人物として後世に伝わっています。「蘭癖大名」の異名をとるほど熱心に外来文化を採り入れて学術を振興し、自らもオランダ語を学んだほか、長崎・出島のオランダ商館に出向いてシーボルトとも親交を結びました。当時、藩主が外国人と直接交流するのは異例であったそうで、開明な君主であったことが分かります。

その重豪の興味の矛先は、中国や日本の文化にも向けられていました。そのひとつが能。都から遠く離れた薩摩の地でも能狂言は盛んだったようで、能好きの島津家久が、京都から有名な能役者を召し抱えたという記録も遺されています。が、ひときわ能に耽溺したといえるのが重豪です。

1764(宝暦14)年、当時20歳の重豪は、稲荷神社での法楽能(神仏に奉納する能のこと)で「嵐山」「田村」「羽衣」「安宅」「弓八幡」と5番すべてでシテを勤めました。シテの運動量は相当激しく(→トリビアQ46)、これだけの曲を舞いきることができたのは、それだけ精進していたからなのでしょう。

さらに1765(明和2)年には、一昼夜、能20番、狂言10番の演能を試みたという記録があります。この時代の上演形式がおおむね1日5番だったことからみると驚異的な曲数で、古今を通じて最多の演能記録ではないかと言われています。たとえ逸話だとしても、重豪の尋常ではない能への入れ込みようがうかがえるエピソードと言えるでしょう。

重豪は、“能狂い”で有名な豊臣秀吉を超える逸材だったのかもしれません。


イラスト:坂木浩子
今までのトリビア

「能楽トリビア」は作成にあたってこちらの文献を参考にしています。


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