能が、初めて日本以外で演じられたのがいつか、明らかではありません。もともと、能は海外に源流のある芸能です。また、能が大成された室町時代から鎖国政策に移った江戸時代初期までは、日本と諸外国の交流も結構ありました。これらを考えれば、記録になくても、能が、世阿弥以降の意外と早い時期に海外で演じられた可能性もあります。
さて明治の開国以降、海外での演能の記録や報告がぽつぽつと見られるようになります。1905(明治38)年には、当時の大韓帝国・ソウルで、観世宗家をはじめとする能楽団が能十一番、狂言八番、舞囃子一番を演じました。その後も東アジア諸地域では、能が何度も行われたようです。一方、欧米についていえば、1900(明治33)年3月に、英国ロンドンで行われた「日本人の芸尽くし大会」で能が演じられたとの記録があります。また観世流シテ方の能楽師が、大正末〜昭和初期にサンフランシスコに滞在し、能も演じたとの報告もあります。しかし欧米でのこれらの公演は、確かにあったのか、また面・装束・三役のそろった本格的なものであったのか、定かではありません。
第2次大戦後、初の本格的な欧米公演として記録されるのは、1954(昭和29)年、イタリアのヴェニスで行われた「ヴェニス国際演劇祭」への招聘参加です。一行は、団長の喜多実氏をはじめシテ方10名、囃子方5名の15名。英仏伊3カ国語の豪華なプログラムや舞台も日本で準備されました。
舞台は、舞台装置家が設計し、歌舞伎の大道具方が制作。柱の取り外しのほか、橋掛かりの長さ・角度の調整もでき、その後の欧米各国公演に使えるよう分解組み立て式とされましたが、トラック3台分になったそうです。ひと月早く日本を船で発ち、現地の石造りの野外劇場のオーケストラボックスの上に組み立てられました。公演は絶賛され、一部の演目はテレビで全伊に放送されるなど、この公演の成功が、その後の能楽の海外公演の定着につながります。