引退した偉人が身分を隠してあちこち旅をして、報われない人を助ける──。こんな「水戸黄門」を連想させる「
上野国(群馬県)の佐野に住む貧しい武士が、旅の僧をもてなすため大事な鉢植えの木を薪として焼いてしまう。武士は僧に向かって、今でこそ零落しているが「いざ鎌倉」の時は主君のもとへ真っ先に駆けつけるつもりだと語りかけます。
僧の正体は、当時の鎌倉幕府の最高権力者=執権をつとめた北条時頼。執権をやめ出家して最明寺殿(最明寺入道)と呼ばれるようになってから、諸国を漫遊したという伝説の持ち主です。作中では、後に時頼が実際に召集号令をかけ、言葉通り鎌倉にやってきた武士に土地を与えてハッピーエンドを迎えます。
「いざ鎌倉」は、緊急事態に際して“やってやるぞ”などと発奮した時に使われる慣用句。鎌倉時代、幕府に一大事があれば“いざ鎌倉に馳せ参じよう”との心意気を武士たちが抱いていたのが由来とされます。
実は「鉢木」に「いざ鎌倉」という文言は出てきません。しかし鎌倉武士の心情を描いた作品として大変な人気を博し、歌舞伎などにも翻案され民衆の間にすっかり定着しました。そのせいか、この慣用句の出典として説明されるのが一般的です。
また、「いざ鎌倉」と同意に「すわ鎌倉」という言い方があります。そこから、「酒は灘、醤油は野田、酢は?」という問いの答えが「すわ鎌倉」となる謎かけも生まれたようです。