能楽の大成者である世阿弥が流された佐渡島(さどがしま)には、世阿弥が持参したとされる中世の頃の面も残されるなど、古くから能とは縁続きでした。その後、金銀山のある佐渡は、江戸時代初期に幕府の天領となります。そこに江戸から金山奉行として大久保長安が派遣され、能は一気に広まっていきます。能役者の息子であった大久保長安は、佐渡赴任にあたり、シテ方、囃子方、狂言方といった能役者を同伴しました。佐渡各地の神社に能を奉納し、武士だけではなく庶民にも広く能を開放しました。そうして明治の頃までに、200以上の能舞台が建てられたほど、佐渡で能は盛んになりました。大正時代に島を訪れた歌人は、10戸くらいの集落にも能舞台のあることを記しています。
現在でも30あまりの能舞台が残り、県の有形民俗文化財や市の指定文化財となっているものもあります。実際に能楽が演じられる現役の舞台も8棟ほどあり、人口約6万4000人の地域として見れば、国内でもっとも能舞台の多いところと言えるでしょう。そのひとつ、江戸時代より佐渡宝生流の大夫を務めていた本間家の「本間家能舞台」は、1885(明治18)年に再建されたといわれています。床下には音響効果用の甕も埋め込まれ、県の有形民俗文化財の指定を受けています。7月最終の土・日曜日には定例の舞台も開催され、島外からの観光客も含め、多くの観客を魅了します。また日輪と老松の鏡板が有名な「大膳神社」の能舞台は、茅葺きの屋根が美しく、建築物としても見応えがあります。