歴史上有名な武蔵坊弁慶は、「安宅」「船弁慶」「橋弁慶」といった数々の能でも活躍しています。この弁慶にまつわる伝説が、兵庫県姫路市の北西にある書寫山圓教寺(書写山円教寺:しょしゃざんえんぎょうじ)に残っています。
素行不良のため比叡山を追い出された青年・弁慶は、圓教寺に預けられたものの、同胞の僧のいたずらで顔に墨で落書きをされ、大喧嘩に。敵なしの弁慶でしたが、そのとき投げた火の棒から山全体が大火事になってしまいました。この事件を遠因に、弁慶は京に出て義経と出会ったといわれます。
円教寺には、落書きされた顔を映した「弁慶の鏡井戸」(長さ3メートル、幅2メートルほどの長方形の石組み。井戸というにはあまりに大きいもの)や、お手玉替わりに遊んだといわれるふたつの「弁慶のお手玉石」(実際は抱えることもできない大石)などが残されています。いずれも豪快な弁慶のイメージにぴったりです。
書寫山圓教寺は、966年に性空上人によって開かれた天台宗の寺院。境内は国の指定史跡で、多くの建物や納められている仏像は、国の重要文化財にも指定されています。最近では、映画『ザ・ラスト・サムライ』のロケにも使用されました。