室町時代から能とともに発展してきた狂言には、現在に伝わる大蔵流と和泉流の二大流派とともに、明治〜大正時代に中央から姿を消した鷺流(さぎりゅう)という流派がありました。
鷺流は、徳川家康のお抱え狂言師であった鷺仁衛門宗玄が創設した流派で、江戸時代には観世流の座付となり「幕府お抱え」として勢力をもっていました。ところが明治時代に入り、他の流派のように家元制を確立することができず、大正期には絶えてしまいました。
それでも、鷺流狂言それ自体は、山口県山口市、新潟県佐渡市、佐賀県などで素人の狂言師たちによって伝承されてきました。
そのうち山口に伝わる鷺流狂言は、毛利藩のお抱え狂言師だった春日庄作が江戸で学び、郷里に伝えたものです。庄作亡き後、町の人々が互いに稽古をつけあう「伝習会」によって細々と守られてきましたが、1954年(昭和29年)、山口女子短期大学(現・山口県立大学)の故・石川弥一教授の研究を契機に保存会が結成されました。その後、「県指定無形文化財」の第1号に指定され、小中学生から大人までのワークショップ活動も盛んになり、現在では定期公演も行われています。