豊臣秀吉が能を愛好したことは有名です。彼が能に没頭したのは、その晩年の10年に満たないわずかな期間だったと言います。その間、彼は自分の業績を新作能として作らせました。それが、「豊公能」と呼ばれる作品群です。
「豊公能」は、秀吉58歳のころに作られたと言われています。当初は十番能だったと見られていますが、謡本で伝わっているものでは、「吉野詣」「高野参詣」「明智討」「柴田」「北條」の五番が有名です(近年、「この花」という曲が発見されました)。「吉野詣」は、吉野に参詣した秀吉に蔵王権現が現れ、秀吉の治世を寿ぐ、というもの。「高野参詣」は、母大政所の三回忌に高野に詣でた秀吉に、大政所の亡霊が現れて秀吉の孝行を称えるというもの。「明智討」「柴田」「北條」は、秀吉の戦功を称えたものです。
秀吉は、これらを宮中に献上し、また、ほぼすべてを自ら舞ったようです。能を愛好した権力者は、足利義満、徳川綱吉ほか、数多くいます。しかし自身の生涯を能に仕立て、あまつさえ舞った人はほかに見当たりません。豊臣秀吉の能への耽溺ぶりがうかがえます。