佐渡へ島流しにされた世阿弥は、晩年に都へ戻ることができたのか──これは、今なお不明です。
昭和35年(1960年)ごろ、世阿弥の菩提寺だった奈良県田原本町の補厳寺(ふがんじ)から田一反を寄贈した至翁禅門(「至翁」は世阿弥の道号)の納帳が発見され、その命日が8月8日と記されていたことから、世阿弥の命日が判明しました。これには没年や場所についての記述はありません。しかし命日が菩提寺に記録されていたことや、足利義教が家臣に殺された際、義教によって罰せられた武家に恩赦が与えられたという史実から、世阿弥は何らかの機会に都に戻った可能性が高いと考える説があります。
果たして、世阿弥の京への思いは遂げられたのでしょうか。