応仁の乱からの戦国時代、幕府の威光が失われ都が荒廃すると、足利将軍家の庇護を受けていた能も窮地に追い込まれました。畿内を本拠としていた能役者たちは、一座を維持するため、新たなパトロンを求めて地方に下りました。
金春禅竹の孫、金春禅鳳は九州の大友氏を頼りました。宝生家は、小田原の北條氏に仕えたといわれます。また当時、都で人気のあった観世元忠は、浜松に下って早くから徳川家康の保護を得ています。一方、大鼓方の大蔵二助虎家は、上杉謙信の贔屓を受けて越後(現新潟)に滞在した後、京へ戻って名を上げました。都から地方へ、地方からまた都へと文化が流動する動きが生まれていたようです。
戦国時代の群雄割拠は、能文化の全国的な普及を後押ししたと言えます。後の安土桃山時代、江戸時代に能が隆盛する下地になったことでしょう。