江戸時代、江戸には幕府お抱えの能役者が300人はいたといわれています。しかし、全員が常に舞台に立っていたわけではありません。5月から10月までの半年詰番と、5月から翌年4月までの1年詰番とがあり、それぞれその後に同じだけの非番の期間があって、舞台に立たなかったようです。
公式には認められませんでしたが、非番の間は歌舞伎の囃子方を務める者もいたようです。歌舞伎役者が能の要素を学ぶなどの交流が、密かにあったかもしれません。
ところで江戸時代の浮世絵の絵師、写楽は、実像を含めて未解明のことが多いのですが、最近の研究により、阿波藩の能役者・斉藤十郎兵衛であった、という説が有力になっています。制作期間がわずか1年にも満たないこともあり、非番の時に間近に見た歌舞伎役者を描いたのではないかといわれています。