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能楽トリビアTrivia

Question116 能は、どのように江戸幕府の式楽となったの?(2012年10月6日追加)

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豊臣秀吉の能好きは有名ですが、徳川家康も大の能好きでした。家康は、秀吉の軍門に下る以前から、室町将軍家に倣って謡を始めていましたが、天下をとると、当時豊臣家直属であった四座(観世、宝生、金春、金剛)を、大阪から自分のお膝元の駿府に移し、保護しています。

続く徳川秀忠は、金剛座の名人で、一時は大夫にもなった北七大夫長能(きたしちだゆうながよし)の姓を喜多に改めさせて、取り立て、後に喜多流が創設されます。秀忠や次の家光の喜多流びいきに、多くの地方大名が倣い、喜多流は全国へ広まります。このように、江戸初期の武家社会での能の普及・発展は、将軍家の覚えをめでたくしようとする諸藩大名の外交辞令的な面もありました。

能が幕府の公式行事で演じられる「式楽」として定着したのは、三代・家光、四代・家綱の時代です。この頃には、老中や若年寄といった官僚制度の中で、能役者や上演演目が管理されるようになりました。能役者は、武士の身分に取り立てられ、俸禄を与えられましたが、一方で、政治的な影響も強く受けるようになったのです。


イラスト:坂木浩子
今までのトリビア

「能楽トリビア」は作成にあたってこちらの文献を参考にしています。


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